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IT業界の変化は激しいけど、習慣を変えるのは難しい [しょーもないこと]

http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29
この時↑のシステムの設計というか、コーディング規約について、昨日の飲み会で話題になった
- 基本的に識別子はアルファベット2ケタ+数字6ケタ
- アルファベット2ケタはサブシステムを表し、数字の上のケタで業務を表す
- テーブルやビューの名前も識別子のルールに従いつつ T_ とか V_ とか付ける
- カラムは全て CHAR 型の固定文字列(数字や時刻を表すものも含めて)
- コードは、「1,2,3,9」とか「11,12,13,99」とか、最後に「その他9」が入る
- テーブルには主キーだけ定義されていて、その他にユニークキーや外部キーは定義されない
- 各テーブルには「yobi1」〜「yobi10」までの予備カラムが CHAR 型として定義されている

この仕事をした時、僕も業務システムは未経験だったので、なんだかわからず
「なんだろう、この謎設計は?」と思った。
たしか、「テーブルとその処理をするプログラムは同じ番号を振る」みたいな規約もあった気がするが、それは、守れないので(VB の別の画面で同じテーブルを操作する必要がある場合とか)基本尊重されつつも、異なっていても問題視されなかった気がする。

その後、あれは COBOL の世界の設計をひきづったもので、世の中に結構はびこっていると言うことを知った。
番号を台帳で管理すると、それはそれで便利なんだそうな。
全部 CHAR型だと、検索も時間かかりそうだしディスクスペースもいっぱい使いそうだけれども、最大レコード数から必要なテーブルスペースを計算するためには CHAR型が良い、のだそうな。

僕がやったのは小規模だったが、大規模になると番号を振る「採番担当」のひととか、どの番号を使えばいいかわからないときに聞く「識者(シキシャ)」という人がいて
「えーと、この処理、何番にすればいっすかー?」
「シキシャに聞いてください」
というやり取りがなされていたという人もいた。

昨日の飲み会でも、皆さんお若いのにやっぱりそういう経験をしている人が何人かいた。
大きく
- CHAR 型だけでなく VARCHAR も許されていた派
- 主キーすら設定されていない派
と、僕のみたアレと微妙に流儀が違うものもあるようだ。
主キーや外部キーがないデーターベースで性能が出ないとか言われたら Oracle さんも気の毒である。

驚くべきことは、ああいうシステムは、もう 21世紀にはなくなったのかと思いきや、
今でも脈々と量産されているらしい。JDK 1.4 (相当の機能) + Struts1 で・・・
オープン系のシステムをやっている人で、 COBOL を経験してる人なんてほとんどいないと思うのに、いつまでもあの慣習が残ってしまっているんだろうか?

自分はどうだろう?古い成功体験にとらわれて、やみくもに古い不合理なことしてないだろうか?
気をつけなくては・・・と思ったことであった。
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ドリームチームの思い出 [しょーもないこと]

(引き続き、このエントリーもツイートやはてブなしでお願いします。このエントリーは言い過ぎの面もあるので割り引いて読んでください)

1つ前のエントリーのようなことがあった直後だったと思うけど正確な前後関係をあまり覚えてない。そんな頃のこと。

(今はまた大きく変わってるんだろうけど)その頃のソーシャルアプリは企画進行、デザイン、プログラミングを全体で7〜8人くらいの規模でやって、その単位で複数のプロジェクトが平行で進められていた。
わりと、チーム編成や進行がいいかげんになっていたところ、経営的にヤバいので、真剣に優秀な人だけのメンバーを作って、期限をきっちり決めて、ヒットするアプリを作っていこうということになった。・・・らしくて、そんな話を会社の偉い人達が延々と会議してるなー、と思ったら「ちょっと・・・」と呼ばれて偉い人達の中でお願いされた。

「この人達とアプリを作って欲しいんですけど・・・」

メンバーは、簡単にいうと社内での勤続期間が長かったり、年齢が上だったりして「扱いの難しい人」達だった。能力は凡庸でそれでいて自尊心は高い。勉強していて多少ものは知っているが実体験と結びついてないので役に立ってない。手を動かそうとしないで指図しようとする評論家。ものごとを頼みにくいのでチームで素早くことを進めていくのには不向き。どこの職場でもダメというわけではないと思うのだが(そういう意味では可哀想だが)ベンチャー向き、ソーシャルアプリ向きではない人。そういう人達が何人かいたのだ。

僕は常々「あの人達はダメだ」と言っていた一方で、「いや、そんなことないですよ」という人もいた。でも結局、面倒見るのは俺かよ、と最初に思った。

ヒットアプリを目指すプロジェクトにいると、チームの生産性が落ちる、かといって、遊ばせておくのも社内モラル上よくない(し、遊ばせる余裕もない)全部 nakagami さんにまかせちゃえー、という検討結果らしい。

そのお願い(それは、とても職務命令という感じでなく本当にお願いだった)を聞いた時に、めまいがした。中学校の修学旅行の時に、クラスで誰も一緒に行動したくない子達を1つの班に集めて、その班に僕も入れられちゃって修学旅行が全然おもしろくなかったことを思い出した。
アプリは完成しなくてもいいというわけでなく、なかなかチャレンジャブルなスケジュールが設定されていて、その会社にいた間では、もっとも困難なミッションだった。もう、ほとんど不可能としか思えなかった。
しかし、一方で、他に人がいないというのもよくわかった。一応、僕は社内で最年長で、勤務期間も長かったので、他の人のいうことはなんだかんだ言って聞かなくても、僕の言うことは、従おうという気持ちになってくれる、僕の能力は別にして、確かに他には適任者がいない気がした。

過去、あれほど嫌な仕事とわかっていて引き受けたことはなかったが、結局、その「お願い」を引き受けることにした。最終的にはメンバーの頑張りもあって、アプリは当初のスケジュールでリリースできた。
残念ながら、それが流行のカードゲームの形式でなかったので収益的に厳しくてすぐに終了してしまったが、ああいうアプリは出しても無理だ、ということがわかったというだけで価値があったと思うようにしている。

さて、その会社を辞めて、ずっと後、その頃のことを知る人と飲む機会があった。
「やー、それにしてもあの時の仕事は大変だったよー」
という話をしたのだが、案の定、チーム外から見ていると
「優秀な人達だけを集めてヒットを狙った(ずるい)チーム」
と映っていたようだ。
「だよねー。あの頃、みんな『ドリームチーム』と思ってたよねー。でも違うんだよ。実体は『ショムニ』だったんだよー」
という話をした。
エンジニアですら、一緒に仕事してなければ他のエンジニアをちゃんと評価することなんてできない、ということを認識したことであったよ。

まず僕をリストラしましょう、と言った話 [しょーもないこと]

(みんな、このエントリをツイートしたり、はてブしたりするの禁止な)

ベンチャーって小さなボートで大海を進んでいるようなもので、快進撃のあとに凄い停滞がくることがある。もう停滞なんてもんじゃなくて沈みかける。

調子のいい時は、ばんばん人をとってるけど、どうしても
「あー、採るの間違っちゃったなー」
って人も入っちゃう。なにせ鳴かず飛ばずのときは面接に来てくれる人もいないんだから、採れる時に採りたいっていうのもあるし、ちょっと会社の調子いい時に来てくれる人が
「みんないい人に見えちゃう」
ということらしい。

ついこないだまで調子良かったのに、このまま行ったらあと数ヶ月で資金が尽きるという状態になった。そんなときに、とにもかくにも少数精鋭でアプリを作ろう。それはさておき、収益に貢献できない人が多すぎる。何人か辞めれば資金が尽きるのが何ヶ月か先に延びて、それで会社が存続する可能性が少しでも高まる・・・という状況になった。

その時、
「じゃあ、(最年長の)僕もろとも年齢が上のほうのエンジニア何人かリストラしましょう。僕が辞めされられたっていえば、みんな納得するだろうし、残る人も会社がピンチだってことがわかって危機感を持ってくれる」
って(時の) CTO に提案したんだけど、その時はニコニコ笑ってるだけで、提案は受け入れられなかった。
僕が、そのとき会社にしてあげられる精一杯の貢献だと思ったんだけど。
もう、僕がそんなこと言ったことも忘れたかもしれないけど、僕には忘れられない出来ごとだった。

リストラすると、上場できないっていうのは、ひとつの大きな理由だったようだ。でも、倒産したら上場もなにもないよ。
「あと3ヶ月頑張ってダメだったらしょうがないです」
って言われたけど、いやいや社長や CTO はそれでいいかもしれないけど、従業員はそう思ってないんだから、働いてくれてる人のことも考えてあげてよ、と思った。

結局、僕の提案は受け入れられず、しかし超ラッキーなことにその後ヒットに恵まれて会社は奇跡の回復をした。そして、僕は、業績が右肩上がりでイケイケになった頃に辞めた。辞めた時はみんな「え?なんで辞めるの?こんなに儲かってるのに?馬鹿じゃないの?」くらいに思ったに違いない。
その会社、いまこそリストラ志願兵を必要としているときだ、と思わなくもないが僕はもういない。

リストラで辞めるのは、なかなか難しいものである。

怒られない駆動プログラミング [しょーもないこと]

ここ1年くらい、久しぶりに受託開発の仕事をしていて、その中で
「お客さんに怒られないように頑張ろう」
というようなことをよく言っている。
怒られないように、っていうのは半分は真実でなく
「お客さんをガッカリさせないように立ち回っていこう」
というような意味で自分は使っている。

顧客満足度アップ、なんておこがましい話で、システム開発は25% しか成功しないって話なので、顧客満足よりも
「いかに怒ったりガッカリしたりさせないか。あきらかな失敗をしないか」
ってことが大切だと思ったりしている。

僕が20代の頃、お客さんの担当は部付きの課長(部下なし)の人で、社内での評価はどうだったか知らないが、僕には優秀に思える人だった。 部下はいなかったが予算を使って、いろんな外注を使って、プロジェクトを切り盛りしてた。

あるとき、客先で作業してた時にそこのカスタマー担当だか営業の人だかから、その課長に電話がかかってきた。僕らの仕事とは関係ない、お客さんからのクレーム処理の話のようだった。ひとしきり経緯を聞いている風だったその課長が開口一番言った言葉が
「そのお客さん、怖い?」
だった。
僕は、そのとき、システム開発で一番大切なことを教えてもらった気がしている。

にこやかな笑顔を振りまかなくても、僕らサービス業なんだよねぇ。

一番不幸だった仕事の話 [しょーもないこと]

以前にも、同じ案件の話を書いた気もするが、もう10年以上も前のことなので、(かつ、関係者がこの日記を見てることはないと思うので)もう少し詳しく書く。

会社を辞めてすぐのときに、元の会社の同僚が仕事を紹介してくれた。非常に単価の安い仕事だったが、どうせしばらく無職の予定だったのでうけることにした。

その会社は、商社と大手IT企業の合弁で、話があったのは、生保とか証券の仕事をする部署だった。部署があるくらいなので、その会社の(少なくとも担当の)人達は業界のプロで初めての業種の業務アプリのバックエンドを書く僕は、言われた通りにコーディングすればいいと思っていた。

僕の最大の敗因は、その人達がまったくプログラムを書いたことがなくてマネージメントだけをする、所謂 SIer だということ、そして世の中にそういう人がいることを僕が知らなかった、ということだ。(その時の前職の会社は、プログラマーが歳をとると SE という肩書きをもらっていたし、社長も昔はプログラムを書いていたので)僕も(初めての仕事だし)よくわからないので、経験のある人達の引いてるスケジュールなんだから、それなりの根拠があるんだろう、と思っていた。

僕らの作るプログラムは、画像やドキュメントをワークフローで決裁していくパッケージのカスタマイズ部分だった。会社にとってはサーバーとパッケージソフトと、でっかい CD-R チェンジャーを売るのが主たる目的でカスタマイズ部分は、おまけ。
プロパーの人達も、商社的発想でパッケージソフトを売り込んではいるものの、ソフトウェア開発のことはあまりわかってない(かつ、業務のこともわかってなく)ということに気づいたのはずっとあとだった。
プロパーの人達は、会社のプライドからか、お客さんにちょっとした質問もしづらいような雰囲気で、それゆえに要件、仕様の定義が遅れに遅れた。AIX + Oracle にフロントが VB6 という構成だったが、お客さんの汎用機のエンジニアの人はプライドが高いけどオープンシステムのことに理解はあまりなくて、輪をかけて話はなかなか進まなかった。

仕様はなかなか決まらず、結局、直前の徹夜の連続で、現地での平行運用の寸前にどうにか体裁だけ整えた。平行運用の時は、お客さんのオフィスで待機して、不具合が出たらすぐ直すという体制になった。

お客さんが平行運用するときは、それはもうバグだらけで、とてもテストしましたと言えるような状態でないことは素人目にもわかったと思うが、お客さんの担当の人は、嫌な顔せず不具合報告してくれた。自分達は、ただでさえ既存の処理と新システムの処理と、仕事が2倍に増えているというのに。
最初は、プロパーの SE に報告してたんだけど、どうも、 nakagami さんに言うとすぐ直るぞ、ということに気づかれ、直接、僕に言うようになってきた。SE の人も、間にたってもようわからないし、黙認だった。会社同士の手続きとしてはダメだったかもしれないけど、あの時は、それが一番みんなの不幸を減らす方法だったと思う。

最初の契約が半年で、半年経った時点ではプロジェクト終わり切ってなかったが、単価も安いし、「とてもできません」と告げてプロジェクトを離れた。続きは、仕事を紹介してくれた前職の同僚が引き継いでくれることになってて、その人なら大丈夫だろうと思ったし、作る部分はあらかた終わっていたので。プロマネの人も、状況はわかっていたので「辞める」と言った時には、文句はまったく言われなかった。
・・・そういえば、忘れかけてたけど単価はあと出しでちょっと上乗せしてくれたような気がする。
それでも安かったけれども、普通は、そんなことできないだろうし、僕は、その気持ちがうれしかった。

あとで、お客さんの事務担当(システム部ではない)の人が責任をとって2人辞めたということを聞いた。

あの仕事の時、誰が悪いとかは全く思わなくて、マネージメントしてた請けてた会社の社員も、お客さんの会社の社員もみんな一生懸命だった。ただ、不幸な人がたくさん産まれてしまったのがダメだと思った。
結局、不幸じゃなかったのは利益を得た会社だけで、社員も協力会社の社員もお客さんも幸せじゃなかった。
思い起こせば、仕事を始める時に面接した部長が「Win Win の関係」って言ってて、それでこの有様かよ、と思うと、あのきれいごとをいって現実をわかってない部長にだけは不満があったな。以来「Win Win の関係」という言葉を聞くたびに、ちょっとムッとする。

あの仕事以来、仕様ができてないとか、技術力がないとか、それは会社の手続きに従ってない、と言っても仕方ないと思うようになった。一番大事なのは、みんなが不幸にならないこと。そのためには、遠慮しないで人の仕事を奪ってでも仕事をうまく回すことを大切にしてるつもり。
あと、わからないことは質問するということにも気をつけるようになった。

そして、仕事はお金を直接もらってる会社のためだけでなく、そのお客さんのそしてお客さんのお客さんのためでもあるので、そういう人達ができるだけ不幸にならないようにしたいなぁ、と思っている。

後悔しなければそれで幸せ [しょーもないこと]

PyCon JP 2012 の Party で、酔っぱらった勢いで
「後悔しなければそれでいい」
という話を増田さんとしていた

人間、何回となく人生の岐路に立たされる
・大学入学の時の選択
・卒業の時の選択
・結婚相手の選択
・就職先
・会社を辞めるときのこと
はたから見ればおかしな選択、もったいないこと、と思われることをしてきた場合もあるだろうが、当事者となってみれば何もかもが素晴らしい状態などない。逆に、他人から見て素晴らしいことであっても本人が満足している状態とは限らない。

いろいろなことを、あとから振り返って「あれで良かったんだろうか」と幾度となく思うことになる。
人生の選択のない人なんていないから、誰でもそんなふうに思うと思う。
だけど、後悔さえしなければそれで幸せなので、後悔だけはしないようにしている。

離婚してひとり寂しくホームレスとしてのたれ死んでも、後悔しなければ僕はそれで幸せな人生だったと思うだろう

偉いかどうかは、あなたが決めることです [しょーもないこと]

幸か不幸か僕は会社で役職というのについたことがない。
(今、名刺に書いてあるのは肩書きであって役職じゃないだろう)
社会人2年目くらいから、平社員だったりフリーのSE だったりしたが、一貫して地位的な偉さとは関係なく、同じような態度と仕事ぶりでやってきたつもりだ。

ところが、最近ときどき
「nakagami さんも偉くなって・・・」
みたいなことを言う人がいて、僕は随分がっかりする。
おいおい、全然偉くなってないだろう。後輩はいても部下はいない。待遇も変わってない。
偉くなったと思われてたとしたら、それは、以前の僕の評価が低かったってことでは?
以前にも同じようなことを書いた↓けど、僕の実質的な偉さはあなたが決めるものです。
プロジェクトの実質的な地位は自分の努力と実力で得るもの
http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2010-06-19

「偉くなって」というひとは、僕とのつきあいも短く浅い人が多いのだが、長いつきあいの人には「偉くなって」なんて言われないようにがんばりたいものだ。んー、そうだな「相変わらずがんばってますね」くらいに言われたい。

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愛があれば年の差なんて [しょーもないこと]

こないだの飲み会の帰りの与太話の中で、
な「どう、会社の男性は?」
女「でも会社にはイケメンいないですね」
な「○○さんなんかどう?イケメンとは言わないけど、いいひとだよー」
女「えーー、だって○○さん私より9歳も年が上なんですよー」
がーん、ショック。○○さんのことはさておき 18歳も年が上の僕ガイル・・・
親は年老い、子供は日々大きくなっていくが自分は 20代の頃からさほど変わってないと思っているのに・・・再婚で 20代の奥さんをもらうのって無理なのね。

帰って、かみさんに
「僕より9歳年下の人はどう?って聞いたら自分と年が離れ過ぎって言われちゃったよ」
という話をしたら
「えっ、何で?国民性?」
と言ってたので(いや、国民性じゃないと思うよ)かみさんも年の差についてはあまり気にしてない。

そういえば、以前の職場で隣の席の 20代既婚の事務職の女性と
「△△さんがいい人だから、自分の妹に紹介したい」
というような世間話をした時に、その人は3人姉妹で、もう1人の既婚の妹さんの旦那さんが僕と同じ年だそうで、それをふまえて
「その人はいい人なんですけど、もう、ずーっと年が上の義弟はいいです」
とも言われてショックを受けた。(精神的には)そんな変わんないのに。日々、僕と話しててもそんなおっさんな感じ?(感じなんだろうなー)ナイスミドル代表として、その女性に 40代男性の魅力を伝えることができず、40代独身男性の皆さんには申し訳なく思っている。業界的な部分もあるんだろうけど、知っている人の中でも僕と同年代の独身の人はいっぱいいて、いい人ばっかりなんだけどねー。

まぁ、考えてみれば 20歳年が離れていると、今の僕の年齢の時に旦那は 60歳過ぎちゃうわけで自分が 20歳のころの 40のおっさん/おばさんのことを考えたら無理もないかなー。
浦島太郎が、いつまでも若者のつもりだったのに、玉手箱を開けたら自分だけすごい年寄りだということがわかってしまった、そんな悲哀

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履歴書のどうでもいいけどどうでもよくないポイント [しょーもないこと]

このツイートが激しくブックマークされてて
https://twitter.com/matsuotakuma/status/16515731963
きっと、履歴書の書き方について参考になるから「なるほどー。参考になる」とか言ってブックマークされているのかと思ったら、あまりに dis られてて笑った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsuotakuma/status/16515731963
http://togetter.com/li/30421
賛同するひとっていないの?

全員は面接できないわけで、その中で面接する人を選別するためには、そういうところを見る人もいる。そういうことは応募者の人は知っておくべきで、
#そんなことを気にするような会社には入りたくないならそれでもいいけど
実際、世の中には気に入らない決裁文書にはハンコを斜めに押す人はいて(くだらねー、でもハンコもらったらこっちのもんだかんねー) と思ったこと多々あり。それが世の中というもの。

この話とは別だが、「ねぇねぇ、この履歴書どう思う?」と送られてきた履歴書を見せてもらったことがある。履歴書は顔写真の写りが悪くて
「せめてもうちょっと笑ってればいいのにー。転職エージェントの会社も、こういうのもっと指導すればいいんだよねー」
という話。
確かに。面接するかどうかその紙切れにかかっているんだから、少しでも可能性が高まる方策はやったほうがいい。とにかく、面接まで行かなきゃ始まらないんだから。 その場では、面接での写真は多少修正してもいいんじゃないかという結論だったように思う。面接した時に多少「ん?写真のイメージと違うな」と思われても、そこは話術で・・・とにかく面接してもらわないことにはしょうがないんだから。
結論→風俗嬢を見習え。

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女性にいいとこ見せようという気概 [しょーもないこと]

昨日の飲み会で社長がたまたま同じテーブルに座って
「エンジニアの男女比を 50:50 にする(おおー、パチパチと盛り上がる)・・・と言いたいところだがさすがにそれは不可能なので 60:40 ・・・を目指しつつ65:35 くらいにしたい」
とのチャレンジャブルなお言葉。
僕も、あらゆるジャンルの職場で男女比が 1:1 になるのが理想だと思っているのだが、65:35 の目標値は、上場するより難しいかと。
実際、社長も
「ハードルは低くしたいのだが、今までで、日本人女性で面接した人0人」
と言っていた。

僕が新卒で入った会社の配属された課の課長は、美しくないマリッサ・メイヤーみたいな人で(←書いたのばれたら殺される)、自分が女性ということもあったんだろう、課内には課長以外にもちらほら女性がいる感じ、全体の1割以上2割未満といった感じだったように思う。
隣の課も、うちほどではなくとも↓「よーし、女を採るぞー」という感じだったので
http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2005-02-02
全体として、女性は1割くらいというイメージがある。
復活の日のオリビア・ハッセーくらい?(←古い)

「業界の全体平均は1割くらいですよねー」
と言ったら、みんなが言うにはそんなにはいないとのこと。
そういわれてみれば、最近では日本人女性でプログラミングしてる人みないかも。
僕らの頃は、男女雇用機会均等法施行間もないころで、いろんな業界に女性が進出してきたからなのかもしれない。その後、3K 職場として周知されたので、女性の皆無な業界なっちゃったのかなー。それは、ますます達成が困難だなー。

ところで女性の比率が多いことによる効用についてだが、 http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2005-02-02 で書いたように「よーし、おじさん(お兄さん)が助けてあげなきゃ」というモチベーションで効率アップのはずなのだが、最近、どうも「助けてあげなきゃ/守ってあげなきゃ」とか「女の子にいいとこ見せよう」という気持ちが乏しい人がいるみたいで、はたから見ていて「ええーっ、そこはぐっと頑張っていいとこ見せるとこでしょ!愛が芽生えるかもよ!」と思ってしまうことがよくある。ただ、女性のほうはどうかというと、守って欲しいとか思ってなくて、男と同じように扱ってもらいたいという感じでもあり、容赦ない作業分担をなんとも思ってないみたい。時代も変わっていくなーと。
女性の深夜勤務が禁止されていた時代 http://questionbox.jp.msn.com/qa863521.html に男だけで深夜残業をしていたこともあって、
「女性を深夜まで働かせるのはちょっと・・・」
と反射的に最悪でも深夜残業にならない程度に作業分担を・・・となる。まさにジェネレーションギャップ
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