SSブログ

東京で働くということ。親に理解できない仕事をするということ [日記]

年末を無職で過ごす人をうらやましく思う反面、自分が職のある状態で年が越せることをありがたく思う。
それもこれも、自分が東京に通える千葉都民だからだ。

今、田舎に帰っても仕事はない。特に、僕のできそうな仕事は全然ない。
IT系の仕事があったとしても、地方ではオペレーターとかコールセンターとか。
東京に居れば、そのシステムの開発の仕事。
IT系以外でも同じだろう。
生保であれば、地方なら営業店。東京なら審査とか運用とか。
銀行であれば、有名大学出ていたって地方なら支店で中小企業開いてに小口の借り入れや預金の担当。
高校生の頃までは、そのことをあまりわかってなかった。

高校の頃は、
「おそらくは最終的には生家に住んで仕事をするだろう。だから、大学では一度外に出てみたい」
と思っていた。多くの同級生は、親元は離れるものの県内の学校に進学した。
僕は、親元を離れて暮らすなら愛知でも東京でも一緒だろう、と思った。
就職するときには
「いつかは愛知に帰るだろうけど、東京で就職できるチャンスは今しかない」
と思って東京の小さなシステム開発会社に入った。
大学進学の時も、就職の時も、父は何も聞かずに何も言わずに
「好きなようにすればいい」
と言ってくれた。
時代は変わりつつあったけど、農家の長男は家を継ぐのは当たり前で「農家の長男は農業高校に行くのがあたりまえ。勉強して頭いいと家を継がない」と言って普通科高校に進学させてもらえないひともいた時代だ。

農家の長男で農業高校までしか出てないが、僕は父のことを頭の良い人だと思っていた。
しかし亡くなるまで、父は僕がしている仕事のプログラミングというのが何なのかまったくわかっていなかった。
まあ普通のことだ。
ただ、一度、
「ビデオの予約録画をするようなもんだろ?」
というようなことを言っていて僕は感心した。
父の生活の中でビデオの予約録画はプログラミングに一番近いと思う。
(ただし、父はビデオの予約録画も再生も自分ではできなかった)

おそらく、将来自分の子供がする仕事を僕自身は理解できないと思う。
だから、僕は子供達に職業については「あれになれ。これを目指せ。」と言う気はない。
むしろ、自分にはまったく理解できないような仕事をしてくれることを楽しみにしている。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0