SSブログ

みんなで病院、そしてお泊り [父のがん]

土曜日は、息子の運動会の予定だったが、雨で順延になったので、急に思いついて
家族4人で父のお見舞いに行った。
もう、始終夢の中にいて話しかけてわかる時間が全体のごく一部になっていたが、
子供たちが、「またくるね」と握手をしたら「また来てね」と言っていた。
子供の世話があり早々見舞えないかみさんも、多分これで会うのは最期になるだろう。

そのあと、土曜の夜から日曜日の朝にかけて、病室に泊まった。
昼頃ついてからしばらくは、僕だとは分からず、見知らぬ介護をする人かと思っていた。
ちょくちょくは顔を出していても、こんなに長く遠く離れて住む息子が病室に居て
水を飲ませたり、床ずれをしないように位置を変えたりするというのが、感覚的にないことと思っていたのだろう。
何回か話しているうちに、だんだんと息子がいることが理解できてきたようで、
夜中、ふと目を覚ますので「どうした?」と聞くと「何でもない」とだけ答えていたが、
ひとりでない(家族がそばにいる)というだけで安心するようだ。
明け方から僕が帰る昼ごろまでは、下痢や発熱で食事も思うようにできなかったりしたようだが、
少しでも安息の時が過ごせて(でも、夜中に聞いても「腰が痛いなぁ」とは言っていた)よかった。
前日には、妹が泊まったようだが、そのことは覚えてないようだし、夜中に
「子供らはどうしてる?」と、昼に見舞いに来て話をしたことは忘れていたので、きっと翌日にでもなれば、僕が泊まったことは忘れるんだろう。

父が寂しかろうという思いもあるが、高校卒業以来一緒に暮らしてないので、
少しでも長く一緒にいたい、という思いが強い。
最初、知らない人がそばに居てくれる思っていたようだが、時々する会話で
息子だということが理解できて、夕食後から早朝4時くらいまでは、僕が聞いている話よりは
安眠できていたように思う。
早朝から、僕が家路に着く昼過ぎくらいまでは、下痢だったり発熱だったり腰痛だったりで、つらそうだった。

父の死なんて、おれが60くらいになってからだろうとたかをくくっていて、
「千葉なんて近いよ」と言っていたが、いざこんなに早くそのときが来てみると、
仕事もあるし、なかなか思うように行かない。
今になってみると、できるだけ親に近いところで就職するのがよかったんだろうか、と思う。
実際には、そんなことはとても難しいんだけど。

あと何回か分からないけど、また週末には父と一緒に過ごすつもり。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント