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自分は湖のボート屋の店番になるべきだったのでは [日記]

前職では月の始めに月初会というのが行われていた。
社長が
「今は苦しいけど・・・天下をとる!」
っていうトークをして、みんなはなんとなくそんな気分になって、よし頑張るぞー・・・ってなる会だったんだけど、締めに CTO が何か話をするのが通常パターンだった。

ある月の月初会のCTO の話。
CTO が実家に帰って友達にあった時、友達は、地元の湖の貸しボート屋で店番をする仕事をしてたという。
CTO 曰く、
「僕は頑張ってここにこうしていられる。みんなも頑張ればきっと成し遂げられる」
・・・いきなり聞いた人はなんのことだかわからなくてポカーンとしてたけど、
僕は、言いたいことはわかった。

自分は子供の頃から塾で勉強して有名大学に入って、ベンチャーのCTOとしてここまで大きくなった。
田舎のみんなは、のんびり暮らしてるけど勉強して努力した俺はすごいんだぞという気持ち。

でも、僕がその時思ったのは
「自分は、貸しボート屋の店番側の人間なんじゃないか」
っていうこと。
貸しボート屋の店番というのは比喩で、僕の立場でいうと愛知の片田舎で農家を継ぐか、
農協に勤めるか、うまくいったら市役所に就職するとかそういうの。

親に援助されて都会の大学に行ってそのまま都会に残って就職して結婚した。
あまり先のことを考えず時の流れに身を任せて、そのまま千葉に暮らし東京で働く生活をしてきた。
田舎に帰って就職先を探すよりも東京で就職したほうが簡単だった。
結婚する時は、なんとなく僕の定年くらいまでは親も元気で、定年になった頃に田舎に帰ればいいかと、漠然と思っていた。

今思うと、大学に進学する時に、父親はもう戻ってこないと覚悟してたのかなと思う。
気がつくと、父は亡くなり田舎の家も田畑もほったらかしだ。
父が亡くなる時には
「お前が長男だからお前が家と田畑は継げ」
と言うものだからそれに従おうとして最低限の管理はして(=近所の人にお願いして)
いるのだが、かといって、いまさら田舎で僕のできる仕事はないので、戻れるわけはない。
子供もかみさんも都会っ子で田舎に住めないだろう。
かくいう僕だって、年取ってから田舎に住むのは無理だろうなぁ、と薄々思っている。

田舎が嫌いというわけでも、都会に憧れてというわけでもなかったが、
18歳まで住んだ田舎の友達との音信は途絶え、今会ったところで全く話は合わないんだろうなぁ、と思う。
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