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とうた [家族]

白鳳関が、優勝後の記者会見を受けなかった理由が明かされた
http://ameblo.jp/hakuho-69/entry-11871576460.html

ふと、「とうた」のことを思い出した。

長男が産まれる3年ほど前に、かみさんが初めて妊娠した。
名前を付けて呼んでいると流産しないというので「とうた」と呼ぶことにした。
(確か、かみさんの、その頃使っていた PostPet のカメが「とうた」だった・・・カメなので)
残念ながら、3ヶ月目の頃に超音波で診断すると徐々に心音が小さくなって、
結局止まってしまった。

超音波診断ができない時代であれば、ちょっと体調や気分が悪い時期があった、
くらいで、気づかずに終わってしまっていたことだろう。

そう思うと、超音波診断ができなくて、気づかなかったほうが
(流産後の予後は悪いが)気分的には良かったんじゃないかと思った。

3年ほどして、また妊娠した。
僕も、(かみさんも)不妊や流産について大学で勉強したので、
僕らの遺伝子の組み合わせでは、子供が産まれないのかもと思わないわけにはいかなかった。

今度は、名前をつけず、静かに産まれるのを待った。
3ヶ月目を過ぎたときには、ほっとするというより
「まだまだ油断できんぞ」
と思った。
途中、逆子だったり出血があったりで心配したが、
最終的に立ち会い出産で、おぎゃーと産まれてきたのを見たときには嬉しかった。
・・・いや、ほっとした。

産まれてみるまでは、名前を付ける気になれなかったので
産まれてから名前を考えていて、2週間ギリギリで出生届けを出した。
会社の経理のおばちゃんに
「子供産まれたの?早く届けだしてよ!」
って言われて、
「一生使う名前をまだ決めてないんだから待ってくださいよ!」
と、怒った。

1歳の誕生日は、夫婦で喜んだ。
1歳になるまでは突然死ということもあって油断できないと思っていた。

2人目(長女)の時は、途中なんのトラブルもなく産まれて、
「流産するときはするんだな」
と、あとになったら思えるけど、とうたを流産したときは、そんな風には思えなかったな

そういえば、長男の妊娠と時期が重なって皇太子妃ご懐妊のニュースがあった。
「お子さんと同級生かもね」
なんて言われてて、世間は祝賀ムードだったが、僕としては
(まだ時期早いし、そんなに手放しで喜んでいいのかな・・・)
と心配になった。結果、とうたと同じく残念な結果になった。

その後、愛子様ご出産になり、結局うちの(長男でなく)長女と同級生となり、
世間は、あの流産のことは忘れてしまったと思うが、
周りの期待も大きくて大変だったろうなぁ、って遠い昔のことを時々思い出す。
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