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デスマは死なず [プログラミング]

最近、デスマのことを考えている。
どんなにツールが高度化しても、開発手法が研究、一般化されても、世の中から全てのデスマを無くすのは無理らしい。

僕が職業としてプログラミングを始めた頃は、今普通に使われているものでは vi と emacs くらいしかなくて、
「vi がスクリーンエディタ?意味わからん。秀丸やMIFES のが便利ですよね」
という感じだった。
Eclipse/Git/Redmine といったツールや、プログラミング言語の多様化で道具は便利になった。
なにせ、僕が最初に仕事で書いたプログラムは ANSI C だったし、既存のプログラムは K&R の古い形式のものもあった。あの頃に比べたら、Java だって随分と効率的だ。

テスト駆動や、XP、スクラムという開発手法も認知されてきた。
開発効率という点では、格段の進歩があったはずだ。

でも、道具がどんなに便利になってもデスマはなくなりそうにない。

むしろ逆かな?自分の経験の中だけの話だけなのかもしれないけど。
新人の頃は、システム開発のお客さんもその道のプロで、開発する側もプロ。時間あたりに作成できる機能は少なかったが、みんなが、これから作ろうとしている機能と工数と品質に関しての感覚的な齟齬は少なくてデスマってあんまりなかったように思う。

会社を辞めて最初にした仕事が、プロマネがプログラムをわかってなくて、(最初、そのこと自体を僕がわかってなくて)大変だった。

その後知ったのは、世の中の SIer 案件は、大半が、ものごとを決める人はプログラムというものをわかってなくて、デスマになっているということ。こんな↓ような話は、あの頃以降、よく聞く。
http://d.hatena.ne.jp/takigawa401/20120330/1333101469
不幸は、プログラムとは何かということを全くわかってない客と営業とプロマネでことが進み、実働するエンジニアの立場が非常に弱いというところにあると思う。
いくらアジャイルだイテレーションだと言っても、一定の予算である程度の成果をあげたいのに「できたとこまで」と言われるのは困るというお客さんの気持ちはよくわかる。
悪気のない無茶な計画。そして、プログラムをわからない人間のエンジニアに対する不信感が全ての不幸の根源。そのために、オンサイト開発やら XP やら、イテレーティブな開発やら、全員の意思疎通のための手法が編み出されているが、手法だけ踏襲しようと試みて、相互の信頼という点でうまく言ってないことが、多いと思う。
「感覚的にこの作業は、この人なら1日、このひとなら1週間、このひとには無理」
と言われて、納得できない人は多い。


システム開発ってエンジニアリングなはずなんだけれども、結局最後は客やら営業やら、マネージャーやらエンジニアやらといった、いろいろな立場の人同士の「信頼」であり、そのために「日頃の信頼の積み重ね」しかないのかなぁ、と最近特に思う。
「信頼しているあのひとがこういっているんだからしょうがない」という。
非常に浪花節的なんだけれども。

SIer という業態は終わるのかもしれないが、期日内に予定内の予算で予定の機能をリリースしたいという客がいて、それを受ける業者がいる以上、デスマはなくなりそうにない。
デスマ根絶に向けてできることといったら
・できるだけ近寄らない
・間違って遭遇してしまったら、最大限可能な妥協点を全力で探る
ということくらいしかないないのじゃないか。
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